お金は幸福を運んできてはくれない

日本人は野口英世より福沢諭吉が好きな人種である。

 
 
 
《天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず》
 
 
 
人はみな平等であると伝えた人が約100年後に紙の中で一番上の役職につくなんて思ってもみなかった事と思う。
 
 
 
いつからか紙が神になり、人々の心を支配していきました。
 
 
そんな状態を『ごく普通の精神病』と人類学者のウェストン・ラ・ブレは呼びました。
 
 
 
 
 
さて、では紙に福沢諭吉が描かれている紙をじっと眺めていただきたい。
 
 
 
 
さぁ、その紙で何かをしてみてほしい。
 
 
何ができる?
 
 
メモを取る?108円で買う真っ白なノートの方が圧倒的に便利である。
 
寒い時に温める?それなら新聞紙の方が便利である。
 
燃やして暖をとる?これまた新聞紙の圧勝である。
 
 
 
 
こう見るとこの紙は神ではなくただの紙切れなのだ。
 
しかも他の紙という物質よりはるかに使い勝手が悪い紙。
 
 
 
 
だがそれに人類は世界で最も価値のある紙という共通の認識を与えた。
 
 
 
 
しかしこの紙は一種の幻なのだ。
 
 
 
 
 
でも人類は紙に役割をもたせた。
それが『手段』である。
 
 
 
交換の手段だ。
現代は大抵のものは交換可能な時代。
 
 
 
 
しかし、この紙を多く持つ者とあまり持たない者とで格差がうまれた。
 
 
 
 
これも福沢諭吉はびっくりするであろう。
 
 
 
 
 
そしてこれからが今回言いたいことなのだが、
この紙自体は決して幸福を運んできてはくれない、という事だ。
 
 
 
この紙は抽象概念的な幸福である。
とはショーペンハウアーの言葉であるが、
 
 
具体的な幸福を持たざるものは
心を紙に委ねてしまうことになる。
 
 
 
そして『交換』が生きる目的となってしまう。
その『交換』「手段」を手に入れる事が生きる目的になってしまう。
 
 
 
交換人間となってしまう。
 
 
失礼な言い方だが、今日ではそんな交換人間になってしまった者ほど『交換』される時代なのだ。
 
 
 
だからまず「手段」からの幸福ではなく、
具体的な幸福を見つける事である。
 
 
 
幸福とはペリカンもクロネコも誰も運んできてはくれないのだ。
 
 
 
 
なぜなら幸福というもの生まれた瞬間からあなたのそばを片時も離れずに共にいるのだから。

 

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